ムハンマド・サイード・アル=サハフ ムハンマド・サイード・カーズィム・アッ=サッハーフ(Muhammed Said Kazim al-Sahhaf/محمد سعيد كاظم الصحاف)はイラクの政治家、外交官、官僚。1940年生まれ。アラブ人。シーア派イスラーム教徒。バアス党員。イラク戦争時、情報相として海外のメディアに対して連日記者会見を開き、イラク発表の公式情報を提供、一躍世界的に知られる存在となった。戦争末期の荒唐無稽な会見内容から、欧米メディアでは「コミカル・アル」、「バグダッド・ボブ」などと呼ばれた。 ムハンマド・サイード・アル=サハフ
イラン・ニュー・ウェイヴ イラン・ニュー・ウェイヴ (英語Iranian New Wave)は、イラン映画の新しいムーヴメントである。1969年、ダリウシュ・メールジュイ監督の『牛 The Cow』の公開後にスタートしたムーヴメントである。マスード・キミアイ監督の『Qeysar』、ナセール・タグヴァイ監督の『Calm in Front of Others』がそれに続いた。彼らが文化的でダイナミックで知的なトレンドを引き起こしたのだ。イランの観客は区別するようになり、この新しいトレンドを成功させ、発展させようとした。3 - 4年で、40 - 50本の特筆すべき価値ある作品がつくられ、イラン映画のニュー・ウェイヴが成立した。「イラン・ニュー・ウェイヴ」の先駆者は、フォルーグ・ファッロフザード、ソフラブ・シャヒド・サレス、バハラーム・ベイザーイー、パルヴィーズ・キミアヴィといった映画監督たちである。彼らは、高度に政治的で哲学的なトーンと詩的言語をともなった、革新的なアート・フィルムをつくった。以降のこのタイプの作品は、「ニュー・イラニアン・シネマ」として知られ、初期のルーツとは区別された。「イラン・ニュー・ウェイヴ」のもっとも特筆すべき人物は、アッバス・キアロスタミ、ジャファール・パナヒ、マジッド・マジディ、バハラーム・ベイザーイー、ダリウシュ・メールジュイ、モフセン・マフマルバフ、マスード・キミアイ、ソフラブ・シャヒド・サレス、パルヴィーズ・キミアヴィ、サミラ・マフマルバフ、アミール・ナデリ、アボルファズル・ジャリリである。 イラン・ニュー・ウェイヴ
10月6日橋 thumb 10月6日橋(''エジプトのカイロにある高架ハイウェイ。カイロ市内を通り、20.5キロメートル離れたカイロ国際空港までをつないでいる。第四次中東戦争が勃発した10月6日を記念して名づけられた。毎日、カイロの人口の半分以上の人間が利用しており、その重要性から『脊髄』と呼ばれている。カイロの交通の重要な一端を担っているため交通量が非常に多くいつも込み合っており、通り抜けるのには45分以上を費やす。30年もの年月を費やし、1996年に完成した。 10月6日橋
アルアハラム アル=アハラーム』(アル・アハラーム、アル・アハラム、 、al-Ahram,the pyramidsの意)は、エジプトの有力日刊紙。1875年創刊。本部カイロ。近代王政期の1875年に民間紙として誕生。ワフド党政権期、自由将校団革命(1952年)を経て、ムハンマド・ナギーブ政権期の1960年に立法によって、他の大手出版社(Akhbar al-Yaum, al-Hilal, Rosa al-Yusuf)とともに国民連合(後のアラブ社会主義者連合)に所有権を移され、事実上国有化された。ガマル/ジャマール・アブドゥ・アル=ナーセル(ナセル;Gamal/Jamal Abd al-Naser)政権期には、当時編集長であったムハンマド・ハサナイン・アル=ハイカル(Muhammad Hasanayn al-Haykal)が政権の大義を支えるイデオローグとして活躍し、ナーセル型アラブ・ナショナリズムの気運をエジプト全土のみならず、アラブ世界各地へ広める役割を果たした。(その後、ハイカルはサーダート〔サダト;Anwar al-Sadat〕との摩擦で辞職し、現在はアル=ジャジーラ・テレビの論客として活躍している。) アルアハラム